「伊豆で見つけた感動のエピソード集」


         「一年に一度の出会いに感謝」

私は、西伊豆の雲見温泉で小さな小さな宿屋を営んでいます。
宿屋を営む中で、ほんの小さな感動から大きな感動を、訪れるお客様から頂いています。
旅人の疲れを癒し、心がほっこりする場所。
そんな宿の中で、私の一番の感動は、お客様が玄関をくぐるときです。
何時間もかけて来てくださる。様々な思いの旅。感動=感謝の気持ちが生まれる瞬間でもあります。

お客様をお迎えするときに、こんな言葉がでてきました。

一年に一度お会いできることは本当にありがたく、「待ってましたー」
「おかえりなさい」
とつい言ってしまいます。いつの間にか、お客様と宿屋の関係から、
親戚のような家族のような関係になっていきます。私を娘のように、子供を孫のように。
小さかった子が大きくなって田舎の自分の家のように訪れてくれる…。伊豆へ旅に来て、
そんな関係を築いてもらえるのが、私にとって何よりもの感動です。


追記 特に震災後は伊豆半島の観光客も激減しています。
今は、毎日毎日がお客様のお顔を見られるだけで感動しています。
5年後、10年後も、この受け入れる側の感動が続いていれば、
きっと旅人も田舎の人の温かさに触れ、景色・温泉・食の感動を感じると思います。
そして、私たち世代が次世代へバトンタッチできるよう、伊豆での出会いに感動が続くことを願っています。


                        (松崎町雲見在住 高橋亜希子さん)

「愛情とは、いつ息子が帰ってきても、好きな料理をつくってあげる準備のこと」

私は土肥温泉に勤めている28歳の者です。
伊豆にいらっしゃったお客様に、お勧め観光スポットのご質問を受け、それにお答えするのがメインの仕事です。
(食・自然・温泉・芸術等)そのため、休日を利用してのフィールドワークが欠かせません。
実際は趣味としてやっているので、楽しくありがたい仕事だなと思っています。さて、ここからが本題ですが、
先日、土肥金山敷地内の「味蔵山」というお食事処で出会ったエピソードです。
ここは、28歳の私のちょうどお母さんにあたる年齢の、土肥に住むママ達が、
地元で採れた野菜のサラダや煮物のバイキングをメインにして、干物やお蕎麦の定食を食べさせてくれる温かいお店です。
私が食べにいくと、料理を作ってくださるママの佐藤久子さんがニコニコと迎えてくれます。
佐藤さんの元には、毎年1回千葉から、ママのつくる「きゃらぶき」を目当てに食べにくるお客様がいるそうなのです。
佐藤さんは言います。「いついらっしゃるか分からないのね。
それに季節によってふきが収穫できないときだってあるの。だから、新しく採れたふきを、
その都度冷凍にしておくのよ。だってせっかく来てくれたときに、
楽しみにしている「きゃらぶき」をつくってあげたいもの」息子の帰りを、息子が大好きな料理をつくって待つ、
お母さんのようです。
これこそ、真心のこもった愛情なのだと思います。
私が高校生の頃、予備校終わりで家に着くのが、夜10時を過ぎるというのに、
夕食を準備して待ってくれて、食べる僕を見守っていてくれた母親を思い出しました。
胸の奥はキュンキュンして、温かくなりました。
サービス業に従事する私が、学ばせて頂きました。お客様のことを考えて、温かな気持ちで日々準備をしていきたいと…。
ここ「味蔵山」では、あたたか〜い、真心の愛情に触れることができました。


                                       (伊豆市土肥在住 杉本正太郎さん)


          「謙虚さを学んだ講演」

2014年1月に伊豆の国市で行われた、さわやか福祉財団理事長で弁護士の堀田力さんの
「子育て講演会」に参加しました。
以前に『「人間力」の育て方』を読んでとても感動したので、伊豆新聞で「元東京地検検事が講演会」
を見つけた時はとても嬉しく思いました。
本の「はじめに」には「日本の子どもたちはこれで大丈夫でしょうか。子どもなのに、無気力すぎませんか。
簡単に、「分かんない」といって問題を避けていませんか。
私たちが子どもだった頃の仲間は、いい意味でも悪い意味でも、もっとヤンチャだったように思います。
世界の子どもたちも、はるかに活発で、子どもらしい好奇心と行動力にあふれているように思います。
日本の大人は、子どもたちの育て方や教育を間違っていないでしょうか」と書かれ、とても共感させられました。
また、「自主性、自律性を認めてもらえず、考えることより覚え込むことを強いられた子どもたちは、
どんな人間に育ったでしょうか。私は、そういう大人たちに、嫌というほど接してきました」
共感する箇所は数多くありましたが、中でも一番共感したのは「これからは、社会的地位やポストや収入、
資産で幸せになれる時代でもなければ、尊敬される時代でもありません。
幸せになれる基本的な要素は、自分がしたいことがどれだけやれるかです。
地位やお金は、それが自分のやりたいことに役立ってはじめて意味をもってきます。
逆に、地位やお金を得てそれを鼻にかけているような人は、軽蔑されるだけで、
不幸な寂しい人生を送るようになっています」に感動しました。
なかなか都会と違って講演に行く機会が無いから本を読む訳なのですが、
今回講演で堀田さんにお会いして一番感動したのは、「謙虚さ」でした。
「凄い方なのに謙虚さに感動」と近所の年輩の女性にその事をお話すると、
「そういうものよ。どうでもいい様な人が威張っていたりね…。」その言葉に、気をつけなければと、思わされました。
講演会は「テレビ静岡」の「テレビ寺子屋」の収録を兼ねていました。
平成26年5月31日、6月14日の9時55分〜10時25分の放送です。
「テレビ収録なのでメモはだめ!」でしたので、テレビを見てまた勉強したいと思っています。


                                            (下田市在住 佐生綾子さん)


          「行けなかった講演会」

平成26年2月1日に伊東市観光会館ホールで行われた大塚貢氏の講演「食で変えませんか、
心と体を健康に」を聴きに行く予定が行けなくなり、「給食で死ぬ!」という、
先生と他2人の共著の本を取り寄せたところ、DVDが付いていて、
私は自宅で先生の講演を一人で聴ける事となったのです。
本の表紙にも、「いじめ、非行、暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった、長野、真田町の奇跡!!」
と書かれていますが、本当に食の大切さを改めて感じさせる素晴らしい内容のお話しで、
心から聴けて良かったと思いました。
いじめ、学力の低下等の問題が、小手先の事では解決しないであろう事は、私自身も以前から感じてはいましたが、
食にまでは辿り着いていなかったので、驚きもありました。
2月21日の伊豆新聞にも内容が載せられていましたが、
「調査してみると、約38%の生徒が朝食を食べてこない。この食べてこない子に非行、犯罪や無気力が多い。
どうしてかと思って調べたところ、夕飯を食べる時間はだいたい7〜8時。学校の給食は午後0時半から。
16時間ぐらい何も食べていない計算になる。だから勉強に対するエネルギーが湧いてこない。
無気力になったり、空腹でイライラしたりする。そのはけ口が、いじめや八つ当たり、非行、犯罪になる」
朝食の重要性を改めて感じました。私は小学校へ読み聞かせに行った際、
最初に「朝ごはん食べてきましたか?朝ごはん食べて来ないと脳ミソが働かないから、食べて来てね」
と声を掛けるようにしています。
「給食で死ぬ!!」のあとがき、「やむにやまれぬ思いを持った人間が世界を変える」にも、とても感動しました。
「この本は、全国のすべての親御さんに、本当に読んでほしい本です。そして付録のDVDを、
是非多くの親御さんに見てほしい、と切に願います。
大塚先生の本気が、長野県上田市の中学校、小学校の未来を変えたのです。
先生の子どもたちへの愛、教育に賭ける情熱、その慈愛に満ちた表情とまなざしに触れることで、
みなさんの人生が大きく変わるキッカケになる、と確信して出版社に強引にお願いして添付されることになったDVDなのです。
2011年の東日本大震災、そしてそれに続く福島原発事故から1年半が過ぎようとしている今日、
私たちは問われています。自らの未来を。自分の愛する者の未来をどうしたら守れるか?と、
絶望的になってしまうことも多々あるでしょう。
日々接する政府、行政の無策、当事者意識、危機感の欠如を見るたびに、私自身も無力感、絶望感
に苛まれることは度々です。しかし、「あきらめるわけにはいかない」それが愛する者を持つ人間の責任ではないでしょうか。
大塚先生はあきらめなかった。「どんな人間にも、自分にしか伝えられないことがあり、
自分にしか支えられない人がいる。これは私の信念です。
この本を読まれた読者の中の1人でも多くの人が、自分の中に「やむにやまれぬ思い」を発見し、
自分の愛する人々のために、志に燃えて生きる方が生まれることを願い、祈り、筆を置かせていただきます。
2012年5月28日 一般社団法人エジソン・アインシュタインスクール協会 専務理事 井上祐宏」
私が一昨年、娘の中学校で「前例がない」と言われながらも初の女性PTA会長を引き受けたのも、
少数派とわかっていてもペンを取り、投稿し続けるのも、私の中の「やむにやまれぬ思い」
がそうさせているのだと思いました。また一人、素晴らしい方の存在を知れた事に感謝しています。


                                               (下田市在住 佐生綾子さん)


           「全国巨木フォーラム」

2013年11月に伊豆市天城会館で開催された「第26回巨木を語ろう全国フォーラム静岡伊豆」
に娘と参加しました。『「フォーラムは、巨樹巨木と森の文化を未来につなぐ」をテーマに開催。
常葉大学社会環境学部の山田辰美教授が基調講演』を伊豆新聞で見つけた時、絶対行かなければと思いました。
毎週土曜日SBSラジオで「山田辰美の土曜はごきげん」を聴いていて、
先生の価値観に共感をさせられる事が多かったからです。
講演が始まって間もなくの発言「文明が台風を巨大化している。そういう事に気付いても良いのでは?」に、
私も伊豆大島台風の被害を悲しむと同時に、私達の価値観を変えなければ、環境破壊が増々進み、
地球温暖化も進み、自然災害は増え続けるのだろうと感じていました。
「森の働きを皆で確かめ合うような社会にしなくてはいけない」「「文明は欲望によって加速する」
「日本は森の国、何故この教育をしてくれないのか?」にも共感しました。
中伊豆中「マメザクラ保護活動」天城中「シカ柵設置後の植生調査」
伊豆総合高自然科学部「伊豆半島ジオと植生」等の発表もあり、
もっと子供達にも聞いて欲しいと思ったのですが、ほとんどが大人の聴講者でした。
今年成人式前日の「土曜はごきげん」に送ったメッセージ
「息子は留学先のアメリカから帰って来られず、成人式には出席できませんが、
新成人に贈りたいケミストリーの『約束の場所』をお願いします」が読まれ、
リクエスト曲もかけていただき、嬉しかったです。


                                               (下田市在住 佐生綾子さん)


         
「伊豆の風と遊んで」 

昨年初秋、用事で夫と下田へ行きました。その日の夕食は外でと思い、宿泊のホテルを出ました。
暗くなった街の通りで食事処を見つけるのは大変でした。街角を曲がり、ある店の前で夫が足を
止めたのです。のれんを外す間際の様子でした。(こんなに早い時間に店を閉めるのかしら…)
と驚きましたが、伺うと快く「いいですよ。どうぞ、どうぞ」と、明るい声で、突然の客をまるで
知り合いの方を待っていて下さったかの様に案内して下さりました。
2人だけの貸切店内で、夫が「昔、店主と山歩きに行ったことがあるよ」と言って、青春当時を
懐かしんでおりました。下田料理を満腹にいただいて嬉しかったです。
レジ横で「また、お待ちしています」と見送って下さった従業員さんの笑顔も素敵でした。
それから1ヶ月後、友人達との集いがあり再び下田へ。
寝姿山山頂に咲くリトルエンジェルの花と下田湾とのコントラストに感動し、ホッとする風景に
出会え、山頂で夕暮れ時まで楽しんでいました。
山頂で海を眺めながらふっと昔を思い出しました。
それは、50年位前、下田をとても好んで毎年のように夏に下田を訪れ滞在されていた作家のことを…。
作家が下田の海を舞台に書いた小説があることを…。
私は下田を離れて40年ですが、山頂から見える下田の海の色だけは変わっていないことに安心しました。
東京から来た4人を含め、12人で再会を喜び、楽しいひと時を過ごしました。
2次会へ向かう途中、ある彼女が「明日、朝早く漁に出るのでここで失礼します」との事で、
帰路に向かう彼女へ手を振りました。次に訪れた店で歌う友人達は満足顔。
黒船哀歌やお吉物語も流れました。私も是非、下田の歌をと思い「千鳥なぜ啼く、下田の沖でョー」
と歌いました。以前、伊豆文学に詳しい先生が、作詞者の高橋掬太郎の「下田夜曲」について教えて
下さったことがあります。それは、この詩の冒頭二行の中に、下田風待ち港の、女の哀しい宿命が、
下田の女の切ないほどの人の良さにつづき、思い切る気風の良さ、下田という土地柄と人柄を誌の中
に表現している。と言うのです。
私が「下田夜曲」を歌い終わった時、居合わせたお客さんで神戸から来たという2人の青年の大きな手の
拍手に、私は赤面してしまいました。「下田夜曲」は彼らにどのように聴こえたでしょうか?
翌日、外ヶ浜の道の駅広場のイベント会場へ立ち寄りました。
地元産の天日干しのお米や農産物、海産物、地元の食材を使った食品などなど、いっぱいでした。
販売人は生産者の方々で、気風の良い声で、活気があり、笑いの会話をしながら、夫と買物を楽しんで
来ました。お客さんも多く、とても賑やかでした。これからも定期的に、日時を決めて「下田じまん市」
の名称で開催されることを期待します。
新年になったある日、早朝の寒い海で漁に出て、ご主人と一緒に作業をしている彼女から宅配が届きました。
「小さい伊勢エビだけど食べてね」の手紙を手にした私は、目頭が熱くなりました。
苦労もいとわない心の暖かさを持ち続けている彼女に、感謝の気持ちでいっぱいです。
伊豆のそれぞれの地区で活躍されている方々を、新聞やテレビで拝見しております。
豊かな自然と、人との出会いを大切にしていただき、伊豆の地元の皆さんが、力を会わせて伊豆に観光等
で訪れる方々に、伊豆を好きになってもらえるようなアピールも大事ではないでしょうか。
近づく黒船祭をきっかけに、伊豆の心意気を魅せてもらいたいと思います。
私も「足を運べば発見と感動がある」を心して人生の旅を続けたいなあと思っております。

追伸 今年も下田の野水仙が、ふる里へ想いを寄せているかのように庭先で咲いています。
   恐縮ですが、以前提案したキャッチフレーズを記します。

(1)時間(とき)と自然と遊ぼう伊豆下田
(2)黒船電車で行こう伊豆下田、良(い)ことあんからさあ!!

つたない文で失礼いたします。


                           (静岡県葵区在住 渡邊かな江さん)


            
「伊豆の未来は教育にあり」 


2014年の元旦、親戚の家へ行った際、パティシェが夢である高1の娘が「フランス語を勉強したい」
と言った事から、話題はフランス語になり、「フランス語の独学は無理だと思うよ」と何人かの経験者
に言われた。
私の妹も経験者で、フランス語の難しさを語った挙句、「フランス語を上達したければ、フランス人の
彼氏を作るのが一番速いと思うよ」と言った。
私はその時すぐ、下田にフランス人は住んで居るのだろうか?と疑問が湧いた。
その何日か後に、ある記述をパソコンで見つけ、私はとても感動してしまった。
それは、日米修好通商条約を締結したことで知られる、初代駐日米大使、タウンゼント・ハリスについて
の記述である。「家が貧しかったので、小学校、中学校卒業後、すぐ父や兄の陶磁器輸入業を助け、図書館
などを利用して、独学でフランス語、イタリア語、スペイン語を教えるなど貧困家庭の子女の教育向上に尽くした」
である。私はとても感動し、ハリスに興味を持ち「ハリス日本滞在記」上・中・下を取り寄せ、読み始めた。
そして、開国の歴史に下田が果たした役目の大きさに、改めて感動すると共に、ハリスの出身地である
アメリカのニューヨーク州に、息子が下田高校を卒業し、留学している不思議を感じずにはいられなかった。
私は「独学」という二文字が大好きだ。だから、建築家の安藤忠雄氏を、とても尊敬している。
何故なら、学歴が「独学」だからだ。
昨年の暮れ、新宿へ講演会を聴きに行った帰りに「表参道ヒルズ」を買物目的ではなく娘と歩いた。
「独学で学んだ人が設計したんだよねー凄いよね」と話しながら…。
アメリカの息子へは、クリスマスカードに安藤忠雄氏の言葉「一流大学だろうが専門学校出だろうが、
中卒だろうが、今の時代誰も人生を保証されていません。一人一人が目の前の白いキャンパスに自分で絵を
描かなければなりません。にもかかわらず依然として一流大学に幻想を抱いている人がたくさんいます。
一流大学を卒業すれば安泰な人生が送れる時代ではなくなったのにね」と、私の言葉
「肩書ではなく、本人を選んでもらえるように、自分を磨いてください」を添えて、下田郵便局から送った。
昨年の暮れに、下村文部科学大臣の講演「この国の未来は教育にあり」を聴く機会が与えられた。
『意志あるところに必ず道あり』が下村大臣の座右の銘で、「志がある人にはどんなハンディキャップが
あっても学べるようにする」「財務省的な少子高齢化なのだから、教育予算を減らす。では木を見て森を見ず、
なので教育費は増やす」等の発言には希望を持った。
「志教育が足りない、志を持った時に子供は変わる」を聴き、吉田松陰の「志高ければ気おのずから盛ん」
を思い出すと同時に、一昨年前、娘の中学校のPTA運営委員会で先生が「無気力な生徒が多い」と言った
時のショックが甦って来た。
下村大臣は、ご自分でも話していたけれど「二世でも三世でもなく、9歳で父親を亡くしてから極貧生活も
体験し、いじめられた経験もある」方だからだろうか、弱者への思いやりが話の中で幾度も感じられた。
「この国の未来は教育にあり」を私は、「伊豆の未来は教育にあり」だとも思った。
最後に挨拶だけされた、行徳哲男氏がどんな方か知りたくて、著書「いまこそ、感性は力」を帰りに買った。
書き出しは「国難襲来す、国家の大事といえども深憂するに足らず。深憂とすべきは人心の正氣(感性)の
足らざるにあり」(藤田東湖が吉田松陰に授けた教えである)が載っていて感銘を受けた。
ハリス滞在記は、上・中・下があり、読破するのは大変だと思った。
しかし、上の終わりの頃から「下田」の地名が頻繁に出て来る様になり、ワクワクしながら読み進めた。
上はタウンゼント・ハリスの言葉「私は、日本に駐箚すべき文明國からの最初の公認された代理者となるで
あろう。このことは、私の生涯に一つの時期をかくするとともに、日本における諸々の事物の、新しい秩序
の発端となるであろう。私は日本と、その将来の運命について書かれるところの歴史に名譽ある記載をのこ
すように、私の身を処したいと思う」(1856年8月19日 日本到着前日の日記より)で始まり、
「1856年8月20日 水曜日(前略)我々は伊豆岬(下田から10哩)に、明日午前2時ごろ到着するであろう。
もしもその間に何も起こらなければ。海軍軍医ウッド博士は、ヒュースケン氏や私自身に事故があったときに
使うように止血器をくれ、キニーネの使用に関する若干の知識をあたえてくれた。午後9時、多くの帆船に出会う。
それを避けることが困難なので、エンジンを止め、夜の間艦を停止した。艦は、ひじょうによく停止している。
夜間に、雨まじりの突風」で終わった。
中の始まりは「1856年8月21日 木曜日 午後6時、陸地の見えるところに来ている。御前崎であることが
分かる。70艘にも近いだろうか、夥しい漁舟である。さっぱりとした、よい着物をまとった日本人の容姿が気に入る。
快い眺め。漁舟の群れが美しい。(中略)我々を下田の小さい内港へ導いた。(中略)下田は非常に貧しい土地で、
未だ1854年12月の地震の影響から回復していないのだとも言った。地震の時は14戸をあますのみで、この土地
の殆ど全家屋が破壊されたという」で、313頁「1857年10月5日 月曜日 私は一頭の新しい馬を入手している。
今日、日本へ来てはじめて馬にのった。鞍や手綱などを急拵えして。私は乗馬の運動をよろこんだが、悲しいかな。
下田は乗馬運動に適する場所ではない。どこへ行っても、上ったり、下ったりで、道路と称しうるものはなく、
あっても歩行するだけの道しかない。そして、至るところの道が急勾配をなしているので、一定の様式の石段が、
特に見下ろすと眩暈がするほどの角度で、つくられている」を読んだ時、想像が全開になった気がした。
でも、その前日の日記の内容に「志」を感じた。
「1857年10月4日 日曜日 私の誕生日である。私は53歳になった。私の寿命は急速に終焉に近づいている。
神よ、残りすくない生命を、有用に、立派に使用せしめ給わらんことを。私の健康は一カ月前よりもよいが、
昨年の今頃にくらべると遥かによくない。私はニューヨークと私の親愛なアメリカ人の友に、いつの日に再会する
であろうか。正直のところ、そして私の本心から、こう言うことができる。「疑わしい」。しかし、神の御心のままにと」
下田市河内の「お吉が淵」に新渡戸稲造の篤志によって、昭和8年8月に建立された「お吉地蔵」がある事を、
昨年1月26日の伊豆新聞、作家で画家のよしだみどりさんの「新渡戸稲造とお吉」を読んで知った時、私は驚いた。
「武士道」を読んでから、新渡戸ファンになっていながら、すぐ近くに住んでいながら知らずに過ごしていた事が、
残念にも思った。「下田は日本の近代史の原点を学べる最高の場所」と書かれていて、家からすぐ近くの下田市蓮台寺
にある「吉田松陰寓寄処」の事も思い出し、改めて下田の魅力を感じた。
今年1月11日の全国紙には、下村大臣の「グローバル人材育成のためには、日本の歴史を学ぶことも大切だ。現在は、
選択科目の日本史を必修化するなどの見直しも必要ではないかと考える」との言葉があり共感した。
私の手帳に書いてある、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーの言葉にも共感している。
「理想を失った民族は滅びる。すべての価値をお金や物に置き換えて、心の価値を見失った民族は滅びる。
自国の歴史を忘れた民族は滅びる」
私は、仙台から下田へ移住して間もない約10年前、パート先の同僚から「なんでそんな良い所から、こんな所へ来たの?」
と言われた事がある。私は無言で、その時は何も答えられなかったと記憶している。
東日本大震災を経て、以前より良い所ではなくなってしまった現実もある。
政令指定都市で文化施設も整った地から、この地へ来たことは、間違っていたのだろうか?
と、ずっと自問していた時期もあった。でも、今なら答えられる。自信を持って。今は亡きあなたへ。
「私は感性を育むために、この地に来た」と。
東日本大震災から3年を経ようとしている今、3・11から私達は何を学び、どう生きるべきかを、
これからも考え続けたいと思う。置かれた場所で咲きながら。

                                   (下田市在住 佐生綾子さん)

               「グリーンコイン」 


今年の1月、横浜に住む妹家族が2泊で下田東急ホテルに泊まりに来る。と言うので、私と娘も
1泊だけする事にしました。その時初めて「グリーンコイン」の存在を知り感動しました。
『グリーンコインは、ホテルで日々使われている歯ブラシやカミソリなどの使用量を軽減すること
により、身近なところから地球環境への負荷を軽減していくことを目的としています。お客様が
対象となるアメニティをご使用にならなかった場合、グリーンコインをフロントのコイン回収箱に
投じていただき、環境保全活動の基金といたします。年間で集計されたコイン枚数分の基金を地球
の緑化活動「子供の森」計画および丹波山「森づくり活動」へ寄付します』(東急ホテルズHP)
恥ずかしながら、私は使い捨てを使うつもりで準備していなかったので、使ってしまい、グリーン
コインは無効となってしまいました。グリーンコインの存在を知っていたら、準備してきたのに…
と残念でした。「マイカップ」「マイはし」はよく聞きますが、「マイアメニティ」も広まるといい
なと思いました。私もこれからは準備します。
チェックアウト前、フロントの近くで遊んでいた1歳の姪を見たホテルの方が、「モンスターズインク
に出てくる女の子に似てますね」と声を掛けてくださり、(ほんと、似てるかも)と気付かされ、
私は瞬間的に、性格も似てるかも…と感じてしまいました。
わからなかった妹に、「今度見てみて」と言ったのですが、あの性格はどう思うかな…。

          (下田市在住 佐生綾子さん)
  

               
「田子島ラーメン」 

私は、西伊豆町で吹きガラス工房を経営し、ガラスの器やオブジェを制作しております。
西伊豆のすばらしく美しい海に魅了され、シュノーケリングや海遊びの大好きな私は西伊豆海岸の
とりこになっております。7年ほど前から始めたシーカヤックは、海を丸ごと体験できるすばらしい
移動手段であり、海の上の自転車のようです。
この感動エピソードは、私の18年間続けている絵日記のある1日のページからです。
他人に見せるために描いた訳ではありませんので、(かっこ)内に補足を入れてあります。


2013年9月18日  田子ラーメン        


本日はひさしぶりのブロー中間作業日(吹きガラス作業以外の作業日)だったので、
OPPEKE' MONKEY(愛艇シーカヤック)と田子島ツアーを!台風18号がぬけて、すずしい晴れ、凪、
風少々とすばらしいカヤック日和だ。外洋も波が少なかったので、めざせ!田子島!!
尊ノ島のトンネルをぬけると、すばらしい景色が。右に富士山、前には静岡市、上は青空と飛行機雲、
水面下は大量のキビナゴやイワシの群。時には大きな魚がバシャ!っと音を立ててもぐる。
上空にはミサゴも飛んでいて、とても美しい風景だ。上陸ポイントはなかなか見つからず、女島を1周。
水がとてもきれいで、海底のいろいろな色、形、魚が見える。湾内とは違った、深い感じの海だ。
女島に上陸ポイントを見つけるが、そこはフジツボ天国だった。こけてずりむけになりませんように。
さっそく灯台にのぼり、そこはまさに絶景!男島を見下ろし、伊豆半島を見渡せる。
上から見る海の色はこんなにあったのかーと思う。富士山も、黄金崎もきれいだ。やっぱりもぐりたいので、
島と島の間の磯にもぐったが、急に深くなっていたので、ジョーズに食べられる前にそそくさとあがった。
見たことない大型の魚がいっぱいだった。タイドプールにも多くの魚やカニやイソギンチャクが泳いでいる。
灯台の階段の下で火をおこし、ラーメンを食べた。うまー!明日は満月なので、あっという間に潮が満ちてきた。
出航できるうちにと思い、なくなく出発。昼寝がしたいので、港内の浜にあがり、洞くつでひとねむり。砂浜を
ヤドカリが歩いている。瀬の浜に戻ったら、かなり潮が満ちていた。
ペットボトルの日向水(日向で暖めておいた水)でシャワーをあび、初めて田子漁協のスーパーで買い物をした。
その後、図書館に行き、帰ってカヤックを洗い、乾き待ちの間、漢字クロス(景品付きの漢字クロスワードパズル)
をやった。賞金、商品ねらうぞ!!あー今日も楽しかった。

                                (西伊豆町在住 生島 賢さん)

            「正ちゃんの星座」

義弟の正ちゃんとは、何かにつけて相性が良く、1カ月に1度は「踊り子」に乗って、
下田の我が家に遊びに来た。
2人共酒が大好きで、酔いが廻ってくると、オヤジ2人、肩を組んで夜空を見上げたものだ。
そんなある日、伊豆にしては珍しいほど凍てつく夜に正ちゃんが、「星がとても近くに見えて、何かを語りかけてくれるね。
時には優しく、時には突き刺さるように届く光は、感動ものだね。下田の星空は日本一だ」と言ったことがあった。
それから1週間後、心不全で正ちゃんは急逝した。星空の美しさに今まで気づかなかった私に、
正ちゃんは大きなプレゼントを残してくれた。正ちゃんのいる星空を見上げて、グラスの酒を飲み乾かす私がいる。


                               (下田市在住 中川浩志さん)



                 「下田の方言」

母校下田中学校の学年同窓会が10月に市内のホテルで開催され、遠方在住者も声を掛け合い出席しました。
勿論、幹事は地元の友。会がたけなわになるにつれ、テーブルのあちら、こちらから、
下田方言の会話が聞こえてきました。「良く来たじゃあ」「元気けぇ」「もっと食わっせぇ」
「もっと飲まっせぇ」「○○へ寄ってけよー」「○○ずら」「ありがとさん」など、
地元の友人達が話しかけてくれる方言の会話が、楽しい笑いの渦巻きとなり盛り上がりました。
ぶっきらぼうな声の中に、情があって温かみのある言葉が、下田の方言だと思います。
とても新鮮な言葉にも聞こえました。下田から帰宅した数日後、SBSラジオで千葉県銚子の方言が放送されていました。
ラジオのボリュームを大にして聴いておりますと、下田の方言と似ていたのです。
「食わっせぇー」「気をつけてけぇらっせぇ」など、それを聴くやいなや、ラジオ局へ電話しました。
「伊豆でも銚子と同じ言葉で現在も会話しています」と…。例を上げ伝えましたところ、
その内容を放送して下さいました。同窓会での友達の声がまだ私の耳元に残っていましたので…。
各地を旅しますと、その土地の方との会話でいろいろ楽しいことがあります。
方言でもてなす人、方言のおもてなしを受ける人…とてもいいなあと思います。
ふる里、伊豆のことばの良さは、何でもない会話で笑顔になれたり、言葉を通じて、
心と心の触れ合いができたり、その事によって癒されるところにあると感じております。

これからも、伊豆の方一人一人が、お客様をお迎えする気持ちで話しかけて頂けたら幸いに思います。
「素敵で元気な伊豆に!」と願っております。過日、静岡駿府公園で伊豆急オモシロ駅長さんに出会いました。
伊豆をいっぱい宣伝してもらいたいですね。私もまた、天城越えや黒船電車で伊豆に行きます。


                               (静岡県葵区在住 渡邉かな江さん)



          
「伊豆は新しい発見や感動でいっぱい」

大阪から伊豆に行くと、関西から来たことを旅館の人や地元の人に少し珍しがられます。
でも私たち家族は実はもう年に何回も伊豆に足を運ぶその少し珍しい家族として、6年目になりました。
車でも新幹線でも行き、春夏秋冬の伊豆半島のそれぞれに新しい発見や感動をしていつも帰ります。
今回は9月の3連休、3度目の熱川です。息子は熱川にあるさくら坂のキャンドル作りが大好きで、
小さなキャンドルから中くらいのキャンドル、そして6歳の今年は一番大きなキャンドルを1時間かけて
あれやこれやと考えながら作るようになり、キャンドルの大きさに成長したことを感じました。
初めて黒根岩風呂に行くと、雑誌の取材がきてるよ〜っと先に入っていた老夫婦の奥さんがおしえてくれ
ました。一緒に海を見ながら、どちらからきたの、今夜のお宿は、なんて話しながら一番景色がいいスポ
ットを語ります。そう、ここでも大阪から来たことを不思議がられたかも。
でも、私たちは伊豆の海がダイヤモンドのように光ること、地元の食材の新鮮さに驚くこと、子供が喜ぶ
場所が多いことをたっくさん知っているから、そしてそのことを地元の人や同じように旅している人にお
しえてあげたくなって、感動を共有したくなって何度も来ているのかもしれないことに気付きました。
今日のお宿「望水」には無料のキッズスターというサービスがあり子供が大好きなカレーライスを夕食に
出していただけます。背が一番前で小食の我が子もお皿いっぱいのカレーをおかわりしました。
また、うれしいサービスを知っていることが増えて、稲取へ旅が続きました。

                                         (匿名希望)


               
「野に香る水仙の花」

昨年の震災後のある新聞に「観光客が減少した伊豆を元気にしよう!」の見出しに目が止まりました。
早速、私が入会しているサークルの人達との話し合いで一泊伊豆旅行計画が決定されました。
メンバー20名弱でしたが、夏の暑い日、下田まで行きました。稲取、河津、白浜の海岸の美しい事!
柿崎では、吉田松陰像の前で記念撮影など、歴史に詳しいメンバーなので、
黒船に関しての話題で車中は盛り上がりました。お吉さんの話も色々とありました。
下田の街の中はお祭りも過ぎ、静かで観光客も少ない日でした。
いつもこの様な街かしらと思いながら散策して来ました。
昼食時、あるホテルに立ち寄りました。そこで帰り際、従業員のある人から「冬になったら咲きますように」と、
水仙の球根をもらいました。袋入りで説明書きもありました。
その球根から今、冷たい寒風の中で凛として花が咲いているのです。香りと共に!
メンバーで初老の社長さんは「下田の水仙が咲きましたよ」とクリスマスの日、ご自分の携帯で撮ったと、
とても嬉しそうに見せて下さいました。
そして、「今度は下田へゆっくり行って来ますよ」と、またあるメンバーは
「庭に植えた球根がもうじき咲きそうだよ。咲いたら見に来てね」などなど、
我家も、かわいい水仙の花が咲き散歩中の近所の方々が足を止め見て行かれます。
たった数個の水仙の球根がこんなにも人の心を引きつけ、心を癒してくれているのだと感心しております。
今や、水仙は「下田」「爪木崎」の代名詞となっていると思います。
地元市民にとっては何でもない花になっているかも知れませんが、所変われば人変わるのごとく、
一輪の花に想いを寄せる人達がいることを忘れないでほしいと思います。
そして、もし下田に水仙の球根があるようでしたら、見物に行った方々に少しでもお渡しいただけたらいいなと思います。
私も国内各地や海外に旅しておりますが、やはり笑顔で接客や対応をして下さいますと旅も一層楽しくなりますし、
思い出も深くなります。そして再び、その土地へ行きたくなります。
下田の皆様も下田の方言でまた私達を迎えて下さい。
「また来らっせー。待ってんよー」とてもいい言葉ですから…。
「三百万本の花がゆれる早春の岬」のキャッチフレーズ、昨年秋に公園でチラシをもらい、
今も手元に置いてあります。私も皆に声掛けしております。まとまりのない文で失礼致します。


                                            (静岡県葵区在住 渡邉かな江さん)


          
 「お礼はさくらに」

昨年の「みなみの桜と菜の花まつり」に行った時の事です。
青野川のベンチでひと休みしている時に横浜から桜を見に来たという老夫婦と隣り合わせになりました。

「来年の桜は見られないかもしれないから」とおっしゃって、
見事に咲いた桜を仲良くじっと見ていらっしゃいました。
「それではお先に」と私は立ち上がり、その場を去りました。

それから1時間位した頃でしょうか、「もしもしお忘れものですよ」と、
先程お会いしたお二人に紙袋を渡されました。
それは、私がみやげ用に買った金目鯛の干物でした。
私は忘れ物をしたことなど全く気づかず、呑気に花見をしていました。

「ありがとうございます。お陰様で私の手元にもどってきました」このご夫婦は、
杖をつきながら1時間近くも私をさがしてくれたのです
。私は鼻の奥がツンとして涙が出そうになりました。
「失礼ですが、お名前は?」とお聞きすると、「一期一会も何かのご縁、
お礼は
“桜”に言って下さい」と言い置き、肩を並べて帰って行かれました。
今年もまた桜の季節が巡ってきます。

咲き盛る花の下で、あのお二人にまた逢えますように…。

                                            (下田市在住 中川洋子さん)


             「忘れられない言葉」

以前、お客様より頂いたコメントでの忘れられない感動エピソードがあります。
施設も年数が経ち老朽化してきている中、「建物の古さ、新しさではない。
そこにいるスタッフの心からのサービスやお出迎え、笑顔があるから必ず下田に来ています。」
というコメントを頂いた時に感動して泣きました。
サービスしている私達が、お客様からの温かい思いやりから、
感動と人の心を動かすものはやはり人なのだと教えられた忘れられない大事なエピソードです。
それを胸に、いつも、お客様に感動を与えられるようなサービスを目指して頑張っています!


                                           (下田市在住 匿名希望)


               
「思いがけないサービス」

下田のフジワラ商店さんでの何年か前の出来事です。みかんを買いにお店に行くと、
一袋100円のみかんを何袋か買いました。

レジ袋を持参していたので、応対してくれた店主のおばあさんに、
「袋は持って来たからいりません」と言ったところ、おばあさんが「袋いらないならこれ持ってきな」と、
みかんを一袋おまけして、袋の中へ入れてくれたのです。
私はびっくりしたものの「えー?いいんですか、すみません」と有難くいただいたのですが、
みかん一個でも十分なくらいなのに、そのおばあさんの行為に、個人商店ならではのサービスに、
とても嬉しくなったと同時に、何だか「頑張ろう!」そんな気持ちになりました。

今も時々買い物に行き、ご夫婦のお元気そうな姿を見て、ほっとしている私です。

                             (下田市在住 佐生綾子さん)


            「今日はいらないよ」

下田の河内にある、こうじやさんでの昨年の出来事です。
買い物をしていると、一人のおばあさんが後から入って来て、買い物を始めました。
そのおばあさんが、食パンの袋をカゴに入れた時、お店のおばさんが
「○○さん、それ昨日買ったから、まだあるはず。今日はいらないよ」と、言いました。

すると、そのおばあさんは「そうだったかしら、わからなくなっちゃった」と言って、パンをあった所にもどしました。
そして私に向かって「この人ね、私が一人暮らしだから色々心配してくれてね。
私が何を買って行ったかまで覚えていてくれるのよ」と嬉しそうに話してくれました。

そのやりとりの現場に居合わせた事を幸せに感じたと同時に、お店の繁盛を秘かに願って出て来ました。

                                      (下田市在住 佐生綾子さん)


              
「三島由紀夫が取り持つ縁」

私は投稿が好きで、伊豆新聞によく投稿をしているのですが、昨年の暮れに三島由紀夫の事で、
投稿して掲載されたその日に、下田市三丁目の青島床屋さんのご主人から、
「三島由紀夫に関する良い資料があるので、良かったら取りに来ませんか?」
という主旨の内容のお電話をいただきました。夕方近くにお店にうかがうと、
「三島由紀夫と下田東急ホテル 前田 實」と表紙に書かれた冊子を下さったのです。
それから、三島由紀夫の散髪をご主人がした際に使ったハサミや櫛が入った額を見せていただいたり、
三島由紀夫と実際に交わした会話の内容を教えていただいたり…。

生前の三島由紀夫を実際に目で見た方のお話は、本当に貴重だと思いながら、
初対面のご主人と、とても有意義な時間を過ごさせていただき感謝でした。

私がチョット咳こんだところ、奥様が奥からお茶を入れて来てくださり、とても美味しく感じられました。

                         (下田市在住 佐生綾子さん)


        「節電コンクール」から「みんなのひろば」

踊り子号は下田・伊豆南の代名詞、計画停電により「伊豆は車も電車も不通のイメージ」
昨年4月23日計画停電後、踊り子号が再開運行となりました。
伊豆急下田駅には100人ほどのお客様が踊り子号でお見えになったものの、
当地の来客は目を覆うばかりでした。(お客が来ない。3.11二次災害です。)
そこで急遽「節電コンクールを行い、優秀者を対象に座談会を開催した時のことです。
節電コンクールの目的は 下田に来てね!と 小さい力だけど東北支援! 1回目7月14日座談会、
2回目8月9日、年度総括12月19日は石井市長を囲んで3度の座談会

1回目は2回に分けて、通算4度を行いました。
「無理せず楽しんでエコ生活・・観光の町下田に多くのお客さんが来て活気が戻る夏を迎えたいです」
と結ばれた山下さんの奥さん、子供4人は一つの部屋でテレビや勉強=会話が増えたお風呂は連続追い炊きナシ、
掃除機やめて箒=ダイエット乾燥機使わず=天気のよい日まとめて、これからLED

「皆が少しずつ努力すれば皆が助かる、家族皆が笑える幸せな生活を頑張りたい、
そして、日本全員が心から安心できる生活になりますように。」と結ばれた田中さんの奥さん、
家族皆が楽しく節電を心掛けているのでストレスよりもやりがいを感じ楽しんでいると、
また家族全員早寝早起き元気で良いことずくめとも言われました。

「人間ばかりでなく、飼っている金魚にも協力させよう、と百匹の金魚にエアーポンプの送り一時停波、
段々慣らした。」と南伊豆の星さん(12月の段階でも1匹も落伍者ナシ、且つ12月座談会にお見えの星さんの手には
「豆炭あんか」平均継続50%減とも)参加者に共通していたことは 
他人事にしない、参加意識を持つ、行動する。ことでした。
延べ20数名のご意見は互いに工夫しようと話が広がり、南伊豆のお母さん「私は主人と二人暮らし、

冷蔵庫勿体無いので捨てずに3台使っていました。工夫して1台だけにしました。」
すると参加者の方から「あと2台の冷蔵庫はペットボトルの水を凍らせて電気を入れない冷蔵庫に入れれば
野菜程度は有効な保冷庫になりますよ。」と、見える努力と見えない努力、
おそらく日本中でこの小さな努力が折り重なるようにして繰り広げられた震災後の10ヶ月であったのではと思います。

昨年末には東京・荒川で60年余銭湯を営んでいた栄湯の奥さんが私どもの「みんなの広場」
(昭和レトロ無料お休み処)に立ち寄られて、銭湯を廃業したのですが、銭湯で使っていた
「大きな掛け時計」を飾るようにと送って下さいました。

丁寧に梱包された身の丈ほどの時計、梱包を解くと、中からは荒川で銭湯に浸かった方々のぬくもりが漂い、
「時計を見にたびたび寄りますよ。」と言われた酒井照子さんの「頑張りな・・」と背中を押してくれる声が聞こえました。

お休み処には友人、土屋満男君の書(昨年3月書)「大震災によせて 絆」が表装されて(折しも昨年の漢字「絆」)
私達を見つめています。


                                        (小林テレビ設備 渡辺良平社長)


             『2人の夢と下田のお返しに感動』

2017年6月25日、東京の教会で婚約式があり、私もお祝いに駆けつけた。
主役のお二人は下田市在住の方。
男性は下田生まれ下田育ち。喫茶店の経営者。
女性は1年半くらい前に東京から下田に移住。
私は一回り以上歳の離れた彼女と下田の教会で知り合い、会ってお話しする中で、
自分は結婚するつもりはないと、熱く語っていた。
夢は自分の喫茶店を開く事。
だから今回婚約すると聞いて驚いた。
相手の仕事も自分の夢が叶う職業。
彼女は「このために移住したのかもしれない」と運命を語っていた。
婚約式後、ちょっとしたプレゼントを渡すと
「私からもお返しが…」
と渡されたのが「ロロ黒船」の包み。
上京して半年の私は思わず
「懐かしい…」
と言っていた。
これを機にしっかり『下田市』を宣伝している二人に感動しました。
末長くお幸せに



                              (下田市在住 佐生綾子さん)


             
『クリスマスイブに思うこと』

2016年12月11日沼津ヴェルデで行われていた「『勇気の証言ーホロコースト展』アンネ・フランクと杉原千畝の選択』」
を見て感動した。
これを見て、改めて『アンネの日記』の凄さを知った。
今年の自分へのクリスマスプレゼントに『アンネの日記』を買うことにした。

エリー・ヴィーセル(ユダヤ人作家)の言葉に感銘を受けた。《現在の最も大きな悪は無関心です。
知っていながらも活動しないことはそういう不正に同意するのと同じです。
地球は非常に小さな場所になりました。他の国で起こることがわたしたちにすぐはね返ってくるのです。》

昨年の11月に同じ場所で「杉原千畝と命のビザ」で杉原千畝を知り、感銘を受けた。
その日の夜息子から電話があり杉原千畝の事を話すと知っていたので驚いた。
下田高校在学中に世界史の先生に教わったと…。
その先生が転勤してしまい、その後同じ高校に入った娘は知らなかった。
映画上映を心待ちにしていて今年1月に『杉原千畝』を娘と観た。
その映画の中でもナチスドイツの残虐さに涙し、杉原千畝の本も何冊か購入した。

私は今、奇しくも『チャップリンとヒトラー』大野裕之(著)を読んでいた。

《1889年4月――
20世紀の世界で、もっとも愛された男ともっとも憎まれた男が、
わずか4日違いで誕生した。
やがて、2人の才能と思想は、歴史の流れの中で、
巨大なうねりとなって激突する。
知られざる資料を駆使し、映画『独裁者』をめぐるメディア戦争の実相をスリリングに描く!》
この本の中で1番感動したのは、「『独裁者』の結びの演説」
《申し訳ない。私は皇帝なんかにはなりたくない。そんなのは私のやることじゃない。
誰かを支配したり征服もしたくない。できれば、ユダヤ人にしろキリスト教徒にしろ、黒人にしろ白人にしろ、
みんなを助けたいと思っている。
私たちはみんな、お互いを助けたいと望んでいる。人間とはそういうものだ。
他人の不幸によってではなく、お互いの幸福で支えあって生きていきたい。
私たちは、お互いを憎んだり軽蔑したりしたくはない。
この世界には一人ひとりのための場所があるんだ。
そして、良き大地は豊かでみんなに恵みを与えてくれる。
(中略)
兵士たちよ!隷属のためにではなく、自由のために戦おう!
「神の国はあなた方のうちにある」と『ルカ伝』17章に書いてある。
それは一人の人や、一つの集団ではなく、すべての人々、みんなのうちにあるんだ!(後略)》

今日はクリスマスイブ。
経済至上主義の象徴のような東京のクリスマス。
疑問視しながら街を歩いた。
今年は自分なりに無関心な人間にはなりたくないと思って生活した。
来年もそうありたい。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)


               
『ゴッホに共感し』

私は年に何回か届く上原近代美術館からの書簡を楽しみにしている。
今回はそれを東京で受け取った。
下田の家に送られて来たのを、叔母の家に送ってもらったからだ。
今開催中の『冬の情景そして春へ』見に行きたいと思った。がすぐ行けず残念に思った。
今私は叔母の介護のため東京にいる。
2016年ももう12月…
私にとって今年は『ゴッホ』の年だったと言っても過言ではないかもしれない。
上原近代美術館『はじまりの絵画』でゴッホの「鎌で刈る人(ミレーによる)」を観た。
ゴッホの画家としての始まりを知った。
農民に焦点をあてた作品が多い画家であった事を知り、興味を持ち『ゴッホを旅する』千足伸行(著)を買った。
その帯に書かれた
《人間として、画家として――善意の人、敬虔なプロテスタント、弱者に寄り添うヒューマニスト、オランダ伝統の清教徒、
情熱的な理想主義者…》
「弱者に寄り添う…」を読み、一気にゴッホが好きになった。
10月10日に下田市民文化会館で、の講演を聴けた事もとても嬉しい事だった。
《オランダより画家ゴッホの世界的研究者であるシュラール・ファン・ヒューフテンさんをお招きして、講演会を開催しました。
ヒューフテンさんは、当館が収蔵するゴッホ〈鎌で刈る人(ミレーによる)〉を再発見してくださいました。
そうしたご縁から今回、下田での講演を行っていただくことになりました。》
(上原近代美術館だより)より

ゴッホは自分の絵から「静けさや癒やしを感じて欲しい」と思っていたと知った。
自然に対する情熱が大きな人、に共感した。

東京にいる事が好機となり、東京都美術館での『ゴッホとゴーギャン展』も鑑賞した。
平日だというのに凄い人だった。
私は上原近代美術館は自然に囲まれ静寂の中で鑑賞できる事が気に入っている。
上原近代美術館所蔵の絵も2つ飾られている事が、下田市民として誇らしく感じた。
クロード・モネ《藁ぶき屋根の家》
カミーユ・ピサロ《エラニーの牧場》
会場を後にしようとした時、テーブルの上に『はじまりの絵画』のチラシが沢山置かれているのを見た。
これをもらって何人の人が下田を訪れてくれただろうか…
考えると嬉しくなった。

ゴッホの「鎌で刈る人」が下田にある事が、本当に凄い事だと知った年でもあった。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)



               
『50年後の恩返し』

「唐人お吉」と呼ばれた女性のお墓がある宝福寺というお寺を訪ねた時のこと。
お寺のご住職と話をしていると、ご住職を訪ね、年配の男性が訪ねてきました。
社会的地位があるであろうと推測される、とても品のいい紳士でした。
その方のお話によると、50年前、学生の頃、仲間と共に下田を訪れた際に
この宝福寺に泊めて頂いたそうです。
お金もなかった学生の頃、それは貧乏旅行と呼べるものだったといいます。
泊めて頂いた翌日の朝、今のご住職のお母さまが、お金を封筒に入れ、仲間一人一人
に手渡したそうです。その紳士は、その事が50年間忘れられず、宝福寺を訪ねたのです。
お母さまが十数年前に亡くなられた事を聞くと、その紳士は涙ぐみ、
「これをご仏前にお供えください」と、きれいに包んだお金をご住職に渡されました。
時間にして、わずか数分の出来事でしたが、私の胸は熱くなりました。
そこに居合わせた幸せに感謝しました。
その方は恐らく、お母さまから受けたご恩をしっかりと胸に刻み、50年生きてきたに違いありません。
もしかしたら、この時の経験から、困った人には手を差し伸べる人になったかもしれません。
立派ないでたちの紳士の姿からは、そんな人生が垣間見えました。
人は人生において、たとえ一瞬でも、たった一言でも、その人の人生を変えるほどの出会いがあります。
この宝福寺には、お吉さんが物乞いの群れに入った晩年、当時のご住職の奥様「おうめ」さんが、
毎日「おにぎり」を握って、お寺を訪れるお吉さんに渡していたという伝承が残っています。
おうめさんの次の次にあたるご住職の奥様が、学生に施しをしたお母さまです。
自然に「施す」ことが出来る心が、このお寺には伝わっています。

                              (下田市在住 石垣直樹)


             
『三つ子の魂百までの重要性』

佳作をいただいた文章が本に載り、とても嬉しかった。

『文芸思潮』2016年夏号第64号

題は
『三つ子の魂百までの重要性』
5月25日に編集長から
「貴重なご経験からの御提言、その通りと深く共感しました。いい、有益なエッセイと思います。
近いうちに校正ゲラをお送りしますので、校正のほどよろしくお願いします。」

とメールをいただいた。

私は今、保育園で働いている。

7月になり出来上がった本が送られて来た。

内容は題名の通り『三つ子の魂百まで』の重要性を共感した書物を引用して論じているが、
内容を少しご紹介…

《(前略)「待機児童をゼロにする」
という政策も、私には「子供を母親からどんどん引き離す」政策
と聞こえて来て、疑問を感じる日々だ。
目先の利益しか見ていない愚考としか思えず、その上出生率アップをも目標としていることにも矛盾を感じずにはいられない。
「子は宝」―
確かにそうだと思うが、現実はそこからどんどん遠ざかっている我が国の現状に、悲しみを覚える。

聖書の中に〈あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです〉
と書かれているが、そうではないと思わされることも多々ある。
(中略)
私はこの子達の言葉にできない気持ちに寄り添い伝えることに使命を感じるようになった。
(中略)
私達は、経済至上主義の中で、大切な物を沢山失っていることに、もっと真剣に目を向けなければならない
と思う。
最近亡くなられた童話作家松谷みよ子さんの言葉
「真実から目を離さない」
を病院の待合室のテレビで知り、私もそうありたいと思った。》

このエッセイに引用できなかったがここで引用したい文章がある。
『ベニシアの言葉の宝箱』
の中の
《「赤ちゃんからのメッセージ」
私は、あなたを母として、数カ月前に生まれてきたばかりです。
お腹の中にいる時から、早くお母さんに会いたいと、
毎日思っていました。お母さんの愛情と優しさが、
二人を結び付けていることを片時も忘れたことはありません。
二人はいつも一緒。
私は、お母さんが傍にいないと、
不安と孤独で探してしまいます。

お母さん、もう少し私の傍にいてください。
お母さんが心静かに穏やかでいてくれるだけで、
私は喜びに満たされるのです。
お母さんの腕に抱かれて、
おっぱいを飲んでいる時が一番の幸せです。

人生最初の3年間、愛情をもって導き育ててくれることで、
私はこの世で必要なほとんど全てのことを知り、
学ぶことができるのです。

[この命を授けてもらったことを、感謝しています。]

揺りかごで覚えたことは墓場まで。(フランスの諺)》

《人類の歴史という視点から見れば、0、1、2歳の乳幼児を、親が知らない人に違和感なく預けられる
ようになったとき、人間は大切な一線を越えてしまったのかもしれない、と時々不安になります。
絆の始まりは、親が絶対的弱者である自分の子どもを命がけで守ることだったのではないのか…。》

『なぜわたしたちは0歳児を授かるのか  親心の幸福論』
松居  和(著) 

子どもを早くから手放す事が、将来どのような不利益を生むのか… 

真剣に考えて欲しい。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)


          
『川端康成学会第43回大会』に参加して

2016年6月18日伊豆市役所天城湯ケ島支所で行われた『川端康成学会第43回大会』に参加した。

内容は…
小説「伊豆の踊子」を執筆した宿・湯本館の土屋晃社長と鶴見大の片山倫太郎教授が「川端康成と湯ケ島」
をテーマに対談。
国学院大の石川則夫教授の「川端文学の源流・湯ケ島での言葉」の講演。

約3時間程の時間、川端康成の世界に浸かり、とても有意義な時間を過ごし、多々感動した。
文学と伊豆の関わりの素晴らしさを改めて感じ伊豆の歴史を知る時となった。

私の後ろに座られていた方が、大学教授で名刺を戴くと「博士」と書かれていて驚いた。
姫路市からいらしたらしい。
「私は下田から来ましたが、最近山本周五郎がよく泊まっていた宿が、閉館してしまい残念です。」
と話しかけると、
「山本周五郎先生も素晴らしい方ですね…。明日は下田に行く予定なので、楽しみです。」
との事だった。

昨年11月には河津湯ヶ野温泉での文学碑建立50周年記念
『伊豆の踊子文学祭』で献花した。
私が生まれる前年に建立された事を知り、感慨深かった。
「福田屋」で川端康成が泊まっていた部屋も見学した。
展示室はとても興味深かった。

学会の会場で買い求めた『伊豆の旅』をワクワクしながら読み始めて間もなく、
「無税の町があったり…」
の記述が気になり調べてみると、下田市の白浜の事だと知った。
《その昔、日本最大の天草産地の一つとして名を馳せていた。
豊かな海の恵みのおかげで、当時の白浜村は無税、小学校も自己財源で建設、学費も無料とは伝説のような本当の話です。》

古き良き時代を想像した。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)



              
「あじさい祭りに感動して」

2016年6月、はじめて下田公園の「あじさい祭り」に行った。
下田に移住してもう14年くらい経つというのに…
想像以上に素晴らしく、感動!来て見て良かったと思った。

子供達が下田にいるうちに一度は連れて来ればよかったと、後悔した。
息子は一昨年、そして娘は今年下田を出てしまった。

教会で知り合った下田へ移住したばかりの若いTさんと行った。
彼女も、「これは素晴らしい!」と、とても感動していた。

日本写真の開拓者「下岡蓮杖」の昭和3年に建立された「下岡蓮杖翁顕彰碑」も初めて見て感動した。
と同時、あの苦い思い出が頭に蘇った。

それは2014年の読売新聞の記事を見た時の事…

《明治7(1874)年、50歳を過ぎた下岡蓮杖は、横浜でキリスト教の洗礼を受けた。
明治政府によってキリシタン禁制の高札が撤去された翌年のことである。
蓮杖がクリスチャンとなった理由は不明だが、交流した外国人の中に複数の宣教師がいたこと、
またそのうちの一人が最初の妻・美津を診察した宣教医・ヘボンだったことが考えられる。
描かれているのは、使徒たちと最後の晩餐を終え、オリーヴ山(ゲッセマネ)で祈りを捧げるキリストである。
キリスト教絵画では伝統的な主題として知られる。本作には原図がある。
ニューヨークのリヴァーサイド教会にあるハインリッヒ・ホフマンの「ゲッセマネのキリスト」である。
油彩画の原図と比較すると、蓮杖は日本の画材を用いて、やや日本風に翻案されたキリストと風景を描いている。
亡くなるまで敬虔なクリスチャンだった蓮杖の素朴な信仰を物語る好例と言えよう。》
(静岡県立美術館学芸員  南美幸)

この記事を読む約1ヶ月前に、私と娘はアメリカの短大に留学していた息子の卒業式に出席する為にアメリカへ行った。
『世界平和を考える旅』として「9.11テロの現場」、ジョン・レノンが射殺された「ダコタハウス」、
そしてキング牧師が『I have a dream』の演説をした「リヴァーサイド教会」もコースに入れていた。
アメリカに行く前にこの事を知っていたなら…
原図が観られたかもしれないのに…
ショックだった。

Tさんが、ヘボンが創設した明治学院大学出身であるとその日に知り、偶然の一致に驚いた。

2016年7月5日の読売新聞記事を読み、ジョン・レノンがますます好きになった。
《湯川れい子さん80歳の新企画
(前略)66年のビートルズ来日時には、興行会社の計らいで、滞在先のホテルの部屋を訪ねた。
ポール・マッカートニーさんが飲み物を勧めてくれるなど歓待されたが、
ジョン・レノンだけは彼女の存在を無視したという。
「後に本人に尋ねたところ、『当時僕らの部屋を訪ねて来るのは皆権力者ばかり。
それにうんざりしていた。君もそうだと思った』と答えてくれた。
彼らを取り巻く状況を実感できる言葉だった」(後略)》

Tさんは海に魅せられて、下田へ移住したと言っていた。

ゴールデンウィークに息子が帰省した際、会社の秘書の方が下田に初めて来て、案内役をした。

後日、「下田の印象はどうだったのかな?」とメールしてみると、
「だいぶ気に入ったらしい。あの海は誰が見てもきれいでしょ!」
と返事が来て嬉しく思った。

《知恵は町の十人の権力者よりも知恵者を力づける。》(聖書)




                              (下田市在住 佐生綾子さん)



             
「無私の日本人」

2016年5月のある日、三島で映画
『殿、利息でござる!』
を見て、とても感動した。

原作本は『無私の日本人』磯田道史(著)。
その中の一編「穀田屋十三郎」。が映画化された。
(この話しは東北仙台近郊の貧しい宿場町で起きた感動の実話がもと。)
この本を、私は4年程前に購入し、「伊豆新聞」に投稿していた。

《国の運命背負う使命感を持って
最近、日本の政治家は「本当に国のこと、国民のことを考えて仕事をしている人がいるのだろうか?」と思います。
どうも私利私欲のため政治家になっている人が多いように感じています。
全国紙で紹介されていた本「無私の日本人」(磯田道史著)で、下田出身の「中根東里」が紹介されているのを知り、
取り寄せて読みました。
帯には「ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲(もう)けずとも、ほんの少しでもいい、
濁ったたものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である」と書かれていて、
それを読んだだけでもこの本を買った意義があると思えました。
「中根は詩文の才に超絶していた。ふつうの道を歩んでおれば、この国屈指の大詩人としてわれわれの
記憶にとどめられていたはずである」。そうならなかったことをとても残念に思います。
「そもそもこの天才児がこの世に生まれ落ちたのも、ほんの偶然といったほうがよいかもしれぬ。
生まれたのは―伊豆の下田であった。この下田というところは滑稽といっていいほど、ありとあらゆるものが漂着してくる。
(中略)人間も流れ着いてくるらしい」。
 この箇所を読み、自分も漂着した一人であることがとてもおかしく思えました。
「政治を志す人は、国の運命を一身に背負っているという過剰なまでの使命感を持つことだ」。
今日(11月24日)の全国紙に書いてありました。》
(2012年12月2日掲載)
映画化されたのが「中根東里」ではなく残念だが、子孫が暮らしやすい世の中にする為に、命がけでしくみ作りを
した人々の物語を一人でも多くの人に見てもらいたいと思った。

「地方創生」には、知恵が必要だ。と改めて考えさせられた。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)



          
「鈴木まもる鳥の巣ワールド」にて

2016年5月三島市のギャラリー善に『鈴木まもる鳥の巣ワールド』を観に行った。

鈴木まもるさんが会場にいらして、羊毛で鳥が作った巣をケースをはずして触らせていただけた。
私は
「あらえびす賞受賞おめでとうございます。あれは野村胡堂の賞ですよね…。」
とお話ししてみた。
「そうですね…私はよくわからないのですが…」

私は作家松田瓊子の父として知っていた。
以前『七つの蕾』を買い求めた際帯に
《皇后美智子さま青春の愛読書
美智子皇后が学生時代に愛読され、後年には作者の父、野村胡堂に手紙を出されてまで探し求められた幻の名作。
23歳で世を去った作者が描く、少年少女たちの織りなす美しい世界。》とあった。

《胡堂は、静岡県の伊東にある別荘で、『銭形平次捕物控』を執筆していました。…》と調べて知った。

「私は今保育園に勤めていて、いつも絵本を寄贈して戴き、ありがとうございます。」
とお礼を言うと。
「下田は予算が無いですからね…。新庁舎に図書館が一緒に出来るといいながらその新庁舎がなかなかできないし。」

鈴木まもるさんは下田市への移住の大先輩だが、私も移住して一番ショックだったのが、
図書整備に力を入れていない自治体だと思った事だった。

「市長選どうなるでしょうね…」
「討論会行きたいですが、その日は搬出の日で行けるかな…」そんなお話しもした。

『Blue Sky』鳥の巣の中に地球が入っていて、鳥が守っている絵に感動した。

新聞記事に書かれた言葉
「鳥は誰にも教わらず新しい生命を育てるため美しい巣を作る。なぜものを作るのかという根源的なことを教えてくれる」
にも、とても感動した。



                              (下田市在住 佐生綾子さん)



             
「ほんの樹」

2016年4月のある日、三島市にある楽寿園に行った。
目的は「ほんの樹」。

4月22日の伊豆新聞の記事
《自作の絵本150冊寄贈
下田市加増野の絵本作家鈴木まもるさんがこのほど、市に自身の絵本150冊を寄贈した。》
を読み感動した直後、目を左に移し、見た記事に一瞬目を疑った。
《楽寿園では、園内で自由に持ち出して読書が楽しめる図書コーナー「ほんの樹」をお披露目。
プロデュースしたブックディレクター幅允孝さんがトークセッションに参加し、
人生を変える一冊との出合い方などについて話す。…》

幅允孝さんは、私が今一番気になる人でもあったからだ。
本を買って読み、「ブックディレクター」という仕事に魅力を感じた。
2月に東京へ行く用事の帰りに、新宿伊勢丹の中の幅さんがプロデュースした本棚を見てきた。
その後、「ブルックリンパーラー新宿」へも行き、幅さんがプロデュースした本棚の中に、
『銀の匙』中勘助(著)を見つけ、とても嬉しかった。
さすがだと思った。

残念ながら、トークセッションの日には行けず、幅さんにお会いする事は出来なかったが、
「ほんの樹」を見て、その発想力に感心した。
とても素晴らしいと思った。

「ほんの樹」には色とりどりのバスケットがぶら下がっていて、テーマごとに3冊づつ本が入っている。

いろいろある中で、私は「大岡信はすごい!」が気に入った。大岡信氏は三島市出身の作家で、
三島駅側に『大岡信ことば館』がある。
そこもとても素敵な場所だ。

『本の声を聴け  ブックディレクター幅允孝の仕事』高瀬毅(著)の中の
《本と人が出会う場をつくる。それが幅の仕事の目的だが、幅自身も、本との出会いを常に求めている。
それには、本屋に直接出かけて行くことであり、棚の前に立って、本を手に取り、ページをめくることなのだ。》
を読み、素敵な仕事だと思った。




                              (下田市在住 佐生綾子さん)